Air Blue @IOSSELLIANI T-02-IOS

IOSSELLIANI T-02-IOSにて吉田和生個展「Air Blue」を開催します。

・会期:7月12日(木) - 8月29日(水)
・オープニングレセプション:7月12日(木)19:00 – 21:00
・会場:IOSSELLIANI T-02-IOS
・営業時間:11:00 - 19:30(不定休、年末年始を除く)

http://hpgrpgallery.com/tokyo/




事後のブルー

写真は今、写真史の第2ステージへの移行期にある。被写体を記録し、「真実を写す」という第1ステージの歴史をへて、「デジタル化」と「コンテンポラリーアートとしての写真」という2つが大きな動因となって、それまでの写真表現と異なる「可能性」が噴出する最もエキサイティングな領域となった。そして同時に写真が、時代の流動性を最も反映するアートであることも写真の重要を押し上げる理由だ。
吉田和生の作品「ブルー」は、「3.11以降」という時代性をおびた、最も注目すべき「作品」である。東日本大震災と、福島第一原発事故による放射能汚染がもたらした、大きな時代の「切断感」「喪失感」は、「事件」が発生した当初以上に「事後」においてますます増大して行くだろう。すべての日常の物が、「あの日」を境に、「別の意味」をおびる。「同じ」なのに「同じ」でない。「事件」がもたらした「問い」は、政治・思想・生活・文化すべての領域におよんでいくのである。多くの写真家・アーティストが、その課題を解くべく、今も表現を模索している。

吉田和生は、「複雑さと純化」が同居した傑作をものにした。「ブルー」を傑作とあえて言うのは、自然や森のアニミズム。拡散する放射能。「ここ」と「そこ」。事前と事後。死と生。それらの「複雑さ」を、ミックスさせつつ、万物の頭上にある空のブルーへと純化せしめることを発見・発明したからだ。吉田の作品のもつ宗教的なまでの美しさは、「ここ」の森や、汚染された「そこ」の森の、1,000枚以上の森のイメージが合成され、生みだされている。これは「3.11以降の世界」における「美」のあり様の最初の例となるだろう。

僕は、吉田和生の「ブルー」の作品だけが展示されたシンプルで小さな空間を想像する。それは3.11以降の最初の瞑想空間になるだろう。「アブストラクト」は、西欧の神のアイコンの解体過程であったが、究極的に、そこから生まれた最良のものが、マーク・ロスコのチャペルであり、ジェームス・タレルの空であり、もう一つあげるならば、エイズによる免疫不全という死へと向かう中でデレク・ジャーマンが監督した映画『ブルー』であった。それらは皆、「複雑さと純化」を兼ね備えた神なき時代の宗教芸術なのだ。

吉田和生のブルーは、これらの先行表現につながるものと言ってよい。写真の第2ステージへの移行期というカオティックな中で、吉田和生がこの作品を生みだしたことは心から賛辞を送りたい。そして同時に、吉田和生にこの作品を見事に仕上げてもらいたいと心から願う。「事後のブルー」、これはまちがいなく、実に重要な作品となるだろう。

後藤繁雄(編集者/クリエイティブ・ディレクター)